CDMer (市民的不服従運動参加者) の生活と想い

2021年2月1日、ミャンマー国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチーさんをはじめ政府の閣僚や前年の総選挙で選出された議員らを拘束して軍事的に政権を奪取した翌日、クーデターに反対する公務員が、それぞれの職場で自発的に「市民的不服従運動=CDM」に立ち上がりました。この非暴力の抵抗運動は、医療・鉄道・教育・銀行・政府各省などの公務員たちを中心にまたたくまに全国に広がり、平和的な街頭での大規模抗議活動の広がりとともに、政府機能をマヒさせました。
これに対して国軍側は2月下旬から軍事力を使った武力弾圧を本格化させ、CDM参加者に対しても宿舎からの強制的追い出し、解雇、逮捕等々の攻撃を行ってきました。

CDMがはじまって10カ月がたちました。この間、CDM参加者がどのような生活を送っているのか、どのような想いでいるのか、日本のニュースではほとんど報道されていません。
ミャンマーの独立メディア「Frontier Myanmar」が “CDM leads to job losses” という特集記事を掲載していたので、要点を日本語で紹介します。

CDMは失業を導く

ミャンマーでの2月1日のクーデター後、ほとんどの公務員は非暴力の国民不服従活動CDMに参加しました。軍事評議会がCDM参加者を逮捕しているので、多くは隠れています。彼らは生計を立てるために、専門を生かして働くことができません。
Min Minさんはミャンマークーデターの8日後にCDM活動に参加しました。

公務員の男性Min Minさんへのインタビュー

私は情報省で働きました。

クーデターの8日後、私たちの部門にいる意志を同じくする友人たちと一緒に国民のために立ち上がろうと思って、CDM活動を始めました。
私はそれをすることについて、多くのことを考えなければなりませんでした。
私が考えていたのは、仕事なくなることです。
それから、無職でどれくらい生活できるのかについて、いろいろ考えました。
考えは非常に混乱していました。
他方、将来を見据えて、国の多くの人々が街頭に出て、抗議しています。
その時、私は普通に通勤して生活する人になりたくはなくて、CDMに参加したのです。いろいろな心配に悩んだあとで、CDMに参加することを決心しました。
それについて、今まで後悔することはありませんでした。

家族生活は、クーデター前は順調でしたが、今は失業していて将来が不安です。

解雇されたとき、私たちが最初に直面したのは失業生活です。
公務員と他の労働者とは、とても違います。私たち公務員はこの仕事しかできず、どんな仕事をして生活するか、あれこれ悩んでいます。
私は自分が持っているものを売ったり、親しい友人から生活資金をもらったりして暮らしています。厳しい状況にあったとき、順調に生活できるある友人からたくさん助けてもらいました。
現在はまだ仕事がありません。
このままの状態を続けているのはよくないと思い、意志を同じくする友人たちと一緒に、服とかバックなどを自分たちで作って販売して生活しています。販売する人、配達する人、注文を集める人、分担して扱っています。
また、私の家族は私だけの収入で生活していましたが、現在は失業しているので、一度も仕事をしたことがない私の妻と学生の娘が販売しています。
毎日良いことばかりではなく、売れない日もあります。私は時々配達したり、友人のお店でアルバイトしたりして、貧しい生活をつづけています。

公務員の女性2人へのインタビュー

Thet Mar さんとWin Myat さんは、Min Minさんと同じように公務員です。クーデター後、軍は自由な抗議行動を制限しましたが、彼女たちはCDMに参加し、二人とも仕事を失いました。

Thet Marさんヘのインタビュー

地方では、公務員になるのは非常に難しいです。卒業してから直接職場に入るのは簡単なことではありません。
たくさんの仕事に応募しました。それ以上に、公務員になるのは簡単ではなかったです。
やっとこの仕事に入れたのですから、私も両親も喜びました。親は自慢しました。この仕事に入れるため、一生懸命頑張ったし……。
軍隊が「CDMに参加したら解雇する」と言っている状況で、CDMをするのは少し怖かったです。それに、寮に住んでいる人は男性も女性も追い出されてしまい、「もし寮から出ていかない場合、荷物を通りに捨てる」と発表したから、私も怖くて寮に行けず、しようがなくて友達に助けてもらいました。本当に大変でした。
そこで、地方の実家に帰ろうと思ったけれど、行く途中で車が故障し、また戻ってきてしまいました。

Win Myatさんへのインタビュー

政府の仕事を得るのは簡単ではありません。私はほんとうにこの仕事を一生懸命してきました。そのうえ、私が自分の将来のためにこの仕事にベストを尽くしているとき、私はCDMに加わりはじめたのです。私は人生にたくさんの困難をかかえることになりました。
何より、私がしなければならない主要なことは生活すること、生き延びることです。
私は、得た仕事はなんでもしなければならないと思いました。そこで、仕事に応募するために衣料工場に行きました。しかし、主な求人は、縫製の熟練工でした。製靴工場も、接着剤をつくる熟練者でした。
私は政府のための仕事だけをしてきて、こうした仕事をするための熟練も知識も何ももっていません。でも、生活し生き延びるために、私はこれらの仕事に応募しました。けれども、熟練労働者たちのなかでは、何の仕事も得られませんでした。
CDMをしていることで解雇された後、女性たちは生活するために縫製を習いました。彼女たちはいま、他の献身的な友人と始めた小さな手作り品の仕事で縫い手として働いています。。
私は初めから公務員だったので、外で働いた経験がありません。私は、いま知った技術で縫って、ハンドメイドの衣料やバッグを作っています。
私はそのようにして生活せざるをえないし、自分の知識で生活を作りつづけるでしょう。私はそのことを決して忘れないでしょう。だって、私は、誰からの何らかの勧めもなしに、自分自身でこう決めたのだから。私は、自分の信念に基づいてこうしました。
これが、私が決して後悔していない理由です。私の両親は、私のことをとても支えてくれています。

最後に、Min Minさんへのインタビュー

正直であるために、私は自分の全人生の大きな夢を賭けた。私の人生のすべてだけでなく、私の家族の人生もまた、賭けたのです。
私が言いたい最後のことは、壊されてしまったのは私たちの生活だけでなく、私たち国民の生活、私の家族の生活、そして将来への私のすべての夢が、今やなくなりました。
もし軍隊のクーデターがなかったら、私たちの国は、一歩一歩階段を登るように成長しつづけていたでしょう。国も国民も、階段を一度に一歩で上ったでしょう。私たちは次第にトップになれたと、信じています。未来の階段は、私たちの生活の中になくなってしまいました。存在するすべての階段さえ、すでに破壊されてしまいました。

インタビューは、以下から見られます。
CDM leads to job losses,” Frontier Myanmar, 12月10日19:47 (日本時間)
https://www.facebook.com/watch/?v=4726783787368480

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