「同胞同盟」についてのメモ

https://twitter.com/mattyrdubs/status/1718845152297673075/photo/1
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2013年10月末に同胞同盟が北シャン州で開始した「1027作戦」は、またたくまに北シャン州の重要拠点を制圧し、軍事政権軍はかつてない敗北を喫しました。
このメモは、「1027作戦」の目的と背景、この作戦を担う組織を理解するために私的にまとめたものです。この作戦がどう展開するのか、NUGあるいは他の少数民族武装勢力とどう連携しているのか、またミャンマーの連邦とミャンマーの民主化にとってどのような影響を及ぼすのか、中国がどう動くのか等々、分からないことが多くあります。
確実に分かることは、戦闘がつづけば犠牲になった民間人、兵士たち、苛酷な避難生活を送る人々が増えるということです。
このメモには、誤解を含め、間違いが多々混じっていることを懸念しています。ご指摘いただければ、ありがたいです。

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現況(2023年11月4日時点)

10月27日朝、3つの北部同胞同盟軍、MNDAA、TNLA、AAは共同で、「1027作戦」の名の下、北シャン州のラウカイ、チンシュウェホー、ラシオ、クッカイ、ムセ、ナムカムへの同時攻撃を開始した。
この軍事作戦は、ラウカイ郡区で活動するオンラインギャンブル会社やオンライン詐欺に関与した軍支援の民兵組織を取り締まり、自治区(SAZ)の圧政的な軍事独裁政権を根絶するために行われたと言われている。

シャン州北部での戦争激化に伴い、カレン州とモン州、バゴーとタニンダーリ地方域では、軍事政権軍と抵抗するカレン民族解放軍(KNLA)、国民防衛隊 (PDF)、地元住民との間で戦闘が発生した。

11月4日時点で、同胞同盟は合計106の軍事政権前哨基地を占領したと発表。
この攻撃には、強力なカチン独立軍(KIA)を含む他の反軍事政権組織も参加している。
連邦議会代表委員会(CRPH)、国民統一政府(NUG)も、この作戦を支持した。
一方、クーデター軍事政権指導者ミンアウンフラインは軍隊に非常事態を宣言して予備役を招集し、反撃を開始するとしている。

1027作戦の前哨戦

2021年のクーデター後、全土で強い武装抵抗に直面した軍事政権軍は、PDF粉砕にエネルギーを集中するため、少数民族武装勢力 (EAO)を説得して停戦に持ち込もうとした。

2023年6月:中国の仲介により、同胞同盟の3組織と軍評議会(SAC)和平代表団とが東シャン州マイラーで会談したが、目立った成果は得られなかった。
和平交渉が行われた直後、軍事政権軍はTNLAが統治するシャン州ラシオ郡区の5つの村に掲げられたパラウン国旗とパラウン語で記載された道路標識を損傷し、村民に対し、許可なくそれらを再建設しないよう警告した。「パラウン」は、TNLAの母体であるターアン族の別名である。

7月:軍事政権軍は、TNLAが支配を拡大しているムセなどでTNLA軍に対する攻撃を開始し、戦闘が行われていないにもかかわらず、空から民間人の居住地域に向けて砲撃や爆撃を繰り返した。

8月28日、29日:軍事政権軍は、中国‐ミャンマー貿易ルート上の戦略的な位置にあるTNLA基地を地元民兵と協力して砲撃、空爆し、2,200人の村民が家を追われた。

7月から10月にかけてシャン州のムセ、ラシオ、クッカイ、マンダレー地方域モゴクで軍事政権軍とTNLAの間で少なくとも80回の戦闘があり、軍事政権軍は15回の空爆、400回以上の砲撃を行った。[i]

同胞同盟の3組織

同胞同盟は、

①2009年にミャンマー軍による大規模な攻撃によってコーカンを追われたあと再結成(設立は1989年)されたMNDAA、
②ラカイン族の革命を受け継ぎ2009年に設立されたAA、
③ターアン族の革命を受け継いで2011年に再結成(設立は1963年)されたTNLA

の3組織による同盟。

同胞同盟の結成

3組織は統一民族連邦評議会(United Nationalities Federal Council)のメンバーとして全国的な停戦と和平プロセスに参加したが、ミャンマー軍は2015年9月の全国停戦協定(NCA)への署名を許さず、2016年初頭、「4つの削減」戦略(資金、食糧、情報、新兵をカットする)で彼らを脅し降伏を要求した。
これに対し3組織は「同胞同盟」として知られる同盟を結成し、2016年末頃、3組織はシャン州北部モンコーで共同攻撃を開始し、ミャンマーと中国とのムセを通じた国境貿易を停止させた。

交渉と戦闘

2015年から2017年にかけて、3組織は統一ワ州軍(UWSA)の事実上の支配下にあるパンセンで開催されたEAOのサミットに参加した。彼らはまた、ミャンマー北東部を拠点とし、UWSAが主導するEAOの政治同盟であり、NCAの道以外の平和構築の代替案を模索する連邦政治交渉協議委員会(Federal Political Negotiation Consultative Committee;FPNCC)のメンバーにもなった。

MNDAAは2015年にミャンマー軍との戦闘を開始した。
TNLAは2014年から2020年にかけて、ミャンマー軍と年間200から300回の戦闘を行った。
AAも2018年後半から2020年まで、ミャンマー西部のラカイン州でミャンマー軍と戦った。2022年8月から11月にかけて、ラカイン州でAAと軍の戦闘が再燃した。

同胞同盟の戦力

この10年間で、AAは約100個大隊、総兵力約3万人を擁する強力な軍隊に成長し、TNLAは7個旅団、約8000人、MNDAAは4個旅団、約6000人に成長した。
これらを合わせると、兵力は約45,000から50,000になるという。[ii]

シャン州の概観

東は中国雲南省、ラオス、タイ、南はカヤー州、カレン州、西はザガイン地方域、北はカチン州と接し、大部分は丘陵高原、シャン高原であり、北と南の高い山々とともにシャン丘陵系を形成している。
全長4,200 kmのメコン川、2,815 kmのサルウィン川という2つの大河が流れている。
面積は1億558万1000平方km、人口は約800万人で、シャン族を主要民族とするミャンマー連邦で最大かつ最も人口の多い民族集団州である。

ビルマ独立に先立つパンロン会議で、シャン州は独立後10年で連邦脱退の権利を獲得した。

シャン州は伝統的に、南シャン州、北シャン州、東シャン州の3つのサブ州に分かれ、公式には11の県に分かれている。ダヌ、パーオ、パラウン、コーカンの4自治区、それにワ自治管区(ワ州)がある。

シャン州北部にあって、中国・雲南省と国境を接しているコーカン自治区は、コーカン族(漢族)が多く集住する。

シャン州の歴史

1776年、シャム(現在のタイ)は泰緬戦争に勝利しランナー王国(現在のシャン州)の全領土を占領。

1893年、シャムはイギリス東インド会社のビルマ州に割譲。

1922年、合計33の民族国家が統合されてシャン連邦が形成、のちワ州も移管されて34の民族国家となる。

1947年、シャン州Panglong(Pinlon)でシャン族代表もパンロン協定に調印し、1948年1月4日にミャンマー連邦が誕生。

1952年、中国国民党軍残党追放を口実にビルマ国軍がシャン州に侵攻、以降、国軍(タッマドォー)の植民地支配下に置かれる。

1989年に消滅したビルマ共産党(Communist Party of Burma;CPB)

MNDAA、TNLAの設立は、ビルマ共産党との関係を抜きには理解できない。

1944年8月、ビルマ共産党を有力構成員として結成された抗日運動の秘密組織「反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)」は1945年6月15日に対日戦勝利を宣言し、1948年1月4日のビルマの独立を導いた。

しかし同年2月、CPBは全国規模の反乱を起こすが失敗する。以降、シャン州北東部のコーカン族・ワ族居住地域を根拠地として中国の全面的な軍事・民生援助を受けて武装闘争を続けたが、1976年の毛沢東死後は中国の支援が減少して勢力が衰えて、アヘンを資金源とするようになる。

ビルマ族が主体だった組織は、カチン族、シャン族、ワ族出身幹部が増大し、少数民族組織へと変化した。

ビルマ国軍の攻勢が強まるなか、内部抗争の末、1989年の新年に軍事部門を支えたコーカン族・ワ族出身の兵士たちが指導部を追放してCPBは消滅した。[iii]

コーカン族

コーカン自治区の主要民族であるコーカン(果敢)族は、中国の明朝末期に迫害されて雲南省まで逃げてきた漢族が起源といわれている。

コーカン特別区

1989年にこの地域一帯を支配していたビルマ共産党(CPB)が内部対立によって崩壊すると、コーカン族から成るMNDAAと東シャン州軍(SSA-EAST)とに分裂した。
MNDAAは中央政府と停戦協定を結び、コーカンは自治権を獲得してシャン州第一特別区(コーカン特別区)となった。
特別区政府はラオカイ(老街)市に置かれ、特別区代表(主席)は彭家声。帰順時にMNDAAは約4000名の兵士を擁していた。

コーカン特別区での麻薬撲滅の歴史

1989年、MNDAAは他の18の反政府グループに先駆けてミャンマー中央政府と停戦合意に達し、その際コーカン軍は自治権を獲得してミャンマーの特別区となると同時に、100年あまりの歴史を持つケシ栽培の停止を中央政府と約束した。コーカン特別区は自ら法的統制を強め2003年に麻薬撲滅を達成しており、中央政府はコーカン地域の開発を特別に重視している。
しかしながら、コーカン特別区ではセーフティネットが未整備のまま法的統制を強めることによってケシ栽培撲滅を達成したため、農民はケシという現金収入源を失い、それまで現金で調達していた肥料、食料や保健医療、教育サービス等を得られず、急速に貧困状態が深刻化した。日本政府は2005年からJICAを通じてコーカン特別区で麻薬対策、貧困削減プロジェクトを実施した。

コーカン特別区に隣接するワ特別区は、2005 年までの麻薬撲滅を中央政府に約しているが、2002年の国連薬物犯罪オフィス (United Nations office on Drugs and Crime: UNODC) 統計によるとミャンマーで唯一ケシ栽培収量が増加している (21%増) 地域である。[iv]
ワ特別区の少数民族武装組織であるワ州連合軍(United Wa State Army;UWSA)は署名はしなかったが停戦に合意し、中央政府は、国内の他のEAOといかなる同盟も結ばない代わりに、彼らが軍隊を保持し地域の支配を維持することを認め、生活を維持するためにあらゆる種類のビジネスに従事することを許可した。こうして違法麻薬生産は急増し、麻薬は中国に流出した。[v]

国境警備隊 (BGF)化への抵抗

2009年、中央政府は少数民族の武装組織を自らの統制下に置くため国境警備隊 (Border Guard Forces;BGF) 化を図ったが、MNDAAの大部分はこれに反対した。[vi]

2009年8月、作戦開始前に中国からゴーサインを得ていたミャンマー軍は、MNDAA司令官、特に軍事政権への献身的な姿勢を示した白所成副主席の支援を受け、短期間の侵攻でコーカン地域全体を難なく占領した。
MNDAAは親政府派・反政府派に分裂し、主席だった彭家声とその軍隊はタイに避難しようとしたが果たせず、黄金三角地帯 (Golden Traingle;タイ、ラオス、ミャンマーの国境が隣接してる地域) へ逃亡することを余儀なくされた。

2015年、彭家声の息子である彭大勲の指導の下、MNDAA-コーカン軍は攻撃を開始し、コーカンやムセ、クカイ、クンロン、ティンニー、ラシオの他の地域を含む領土の支配権を取り戻した。
このときミャンマー軍は、反中感情を抱いているビルマ排外主義とナショナリズムに基づく大多数のビルマ国民から積極的な支持を得て、反乱を鎮圧した。[vii]

軍事政権軍とMNDAAの力関係の変化

MNDAAはクーデター後の治安空白を利用し、軍事政権の弾圧に敵意を抱いていた若者たちをベースに新たな戦闘員を採用することに成功した。
PLA(左派の若者によって設立された人民解放軍)、BPLA(ビルマ人民解放軍)、いくつかのPDF軍、およびKNDF(カレンニ民族防衛軍)を合わせて1,000人を超えるゲリラが、MNDAA-コーカンによって訓練された。
いまミャンマー国民は、MNDAA主導の同盟軍の攻撃に拍手を送り、NUGや他の民族武装組織、反軍抵抗勢力が支持を表明している。

中国の政策に精通しているMNDAAは、コーカン自治区を拠点とするオンライン詐欺師の排除を1027作戦の目的に掲げた。
中国当局は長い間、シャン州国境地帯での特にオンライン詐欺師や詐欺行為をめぐる違法行為の存在に強い不満を抱いていたが、コーカン国境警備隊(BGF)は中国人の詐欺と人身売買を終わらせることに失敗し、コーカンBGFを支援するコーカン自治区の支配層に権力を放棄するよう圧力をかけていた。

MNDAAは周到に準備して同盟軍とともに1027作戦に着手し、中国国境とコーカン地域を結ぶ幹線道路と交差点の町、いくつかの重要な戦略的拠点を同時に遮断・制圧し、コーカン地域を奪回することに成功した。

コーカン地域はサルウィン川の東部に位置し、地域全体が山脈と川に囲まれている。中心都市ラウカイの支配がMNDAA軍の手に落ち、同盟軍が主要道路を制圧する能力を持ち続けることができれば、MNDAAと同盟軍はコーカン地域全体を支配することになる。[viii]

起こっていることは、MNDAAが国境沿いで蔓延する違法行為への中国の不満に応じ、それを利用してコーカン地域全体の支配を掌握するという目標を持って行動しているということだ。
この「1027作戦」に参加している部隊には三同胞同盟だけでなく、ビルマ人民解放軍(BPLA)や人民解放軍(PLA)が率いる大隊など他の武装集団も含まれている。
したがって、この作戦には約3万人の軍隊が参加していると推定されている。

TNLAの兵力

TNLA のルーツは、ターアン族の自治権拡大を求める60年にわたる武装闘争にある。
TNLAは推定10,000人から15,000人、他の推定では7,000人から10,000人の兵員を要している。

ターアン族

ターアン族は、ビルマ人からは「パラウン」と呼ばれ、モン・クメール語を話し、主にシャン州北部の山地に住み、小規模なコミュニティが各地に分散していた。歴史的に、このコミュニティは1948年のミャンマー独立まで、ビルマ国家とほとんど交流がなかった。

1962年のネウィン将軍によるクーデターの翌年、ターアン族の政治指導者らはパラウン民族戦線を結成し、ミャンマー軍事政権からの自治を求めて戦った。

1976年、一部のメンバーが脱退して新しい武装組織であるパラウン州解放機構(PSLO)を設立し、カチン独立機構(Kachin Independence Organization;KIO)と同盟を結んだ。

1988年の8888運動後、クーデターを起こした新軍事政権は政権を掌握してすぐに国境地帯の少数民族武装勢力との停戦協定締結を開始した。
PSLOは当初抵抗したが、1991年にターアンの民間人を標的とした壊滅的な軍事作戦の後、指導者らは停戦協定の受け入れを余儀なくされた。
PSLO は徐々に影響力と領土を失い、2005年に武装解除された。

停戦期間中、違法薬物がターアンのコミュニティに流入し始め、ターアン族は麻薬の流入を、自分たちのアイデンティティを「破壊」し、自治権の拡大という政治目標を損なうことを目的とした「軍事戦略」であると考えるようになった。

TNLA結成と目的

2000年代後半までに、軍事政権は国内の多くの民族武装集団を国境警備隊(BGF)の管理下に置くよう圧力をかけ、これに反発する民族武装集団間に一定レベルの団結をもたらした。
2009年、PSLFはKIOの支援を受けて武装組織TNLAを結成した。

TNLAは武装集団であると同時に国家建設プロジェクトでもある。
ターアン族が自らを呼ぶ「ターアン」という用語を武装部隊の名称として使用するというPSLFの決定は、「民族的集合的アイデンティティの再形成」を反映している。
ターアンという言葉の使用は、2008年憲法に基づいて創設されたパラウン自治区(ナムサンとマントン)のみに限定されることへの象徴的な拒否でもあった。

TNLAは、真の連邦制の範囲内で、現在のシャン州から切り出される、より大きな「ターアン州」を求めて戦っている。

TNLAの現在

TNLAは厳格な麻薬使用禁止政策を推進し、共通の民族的アイデンティティの下に異なるコミュニティを結びつけることで、ターアン族の支持を獲得し、ゆっくりと、しかし着実に成長した。
しかし、TNLAは、2011年にテインセイン大統領が開始した和平プロセスからはほとんど排除された。
TNLAは全国停戦協定(NCA)の条文をめぐる団体交渉に参加したが、軍の圧力で協定に署名することを阻止された。

TNLAは、ミャンマー軍、軍の支援を受けた民兵組織との戦闘が着実に増加する一方、2015年後半には、シャン州の中心部と南部から北部地域へと軍の支援を受けて部隊を展開したシャン州復興評議会(RCSS)との間で激しい銃撃戦が勃発した。

2018年頃TNLAは、軍と非公式の停戦に達したKIOから離れ、UWSAとのより緊密な関係を築いていった。[ix]

ラカイン族の歴史

現在のラカイン州の地には、かつてアラカン族(ラカイン族)のアラカン王国があった。ラカイン族は自身の民族史を紀元前3325年まで遡る。そして、アラカン王国は227人の君主を数えるとしている。

1785年にアラカン王国はビルマのコンバウン朝に降伏した。
のちにアラカンはイギリス領インド帝国の一地方になり、1948年、アラカンは独立したビルマ連邦の一部となった。

AAの結成と政治目的

AAは、その政治部門であるアラカン連合(ULA)とともに、2009年4月10日にカチン州ライザで設立され、多民族であるアラカン人の民族自決、アラカン人の国民的アイデンティティと文化遺産の保護と促進、そしてアラカン人の「国家の尊厳」と最善の利益を主張している。

AAのほとんどの兵士は、KIA陸軍士官学校で訓練を受けた。
その後、連邦政治交渉諮問委員会を通じて統一ワ州軍(UWSA)とより連携するようになった。

AAの歴史

数百人規模で出発したAAは、2014年には1,500人以上の兵力、2020年には2万人以上、2021年末には3万人以上に拡大したとされる。

2015年2月、AAはミャンマー軍との紛争において、MNDAAおよびTNLAと共闘した。
同年4月、AAはラカイン州Kyauktaw郡区とチン州パレッワ郡区で、初めてミャンマー軍と交戦、12月にもラカイン州で戦闘を行う。
2016年10月以来のロヒンギャ武装勢力とミャンマー軍の大規模な衝突に対する声明で、加害者(アラカン・ロヒンギャ救世軍)を「野蛮なベンガル人イスラム教徒テロリスト」と非難した。
こうしてAAは、急速にアラカン人の支持を獲得する。

2018年12月にミャンマー軍は5つの紛争地域で4か月の一方的な停戦を宣言したが、チン州とラカイン州はこの停戦発表から除外され、AAとミャンマー軍の間の衝突が増加する。

2022年11月、笹川陽平氏が仲介してAAと軍事政権は一時停戦に合意したが、ラカイン州北部内には双方の軍隊が配備されたままだった。[x]

AAと1027作戦

2023年10月の「1027作戦」では、ラカイン州外での共同作戦に関与している。
10月31日、AAとカチン独立軍(Kachin Independent Army:KIA=1961年創設)の連合軍はカチン州のミッチーナー‐バモー道路にある軍事政権軍の重要基地を占領した。
11月3日、AA、KIA、地元PDFの連合軍はザガイン地方域カウリンへの攻撃を開始し、6日に完全に制圧した。

(追記)メモを書いたあと、下記の資料を目にしました。参考資料として紹介します。
反体制武装勢力の「従来の内戦」が、2・1クーデター以降どう変化したかについては、アジア経済研究所研究員・長田紀之氏の「ミャンマーの内戦はクーデタでどう変わったか」(『アジア平和構築イニシアティブ』笹川平和財団、2023年4月17日 https://www.spf.org/apbi/news/m_230417.html?fbclid=IwAR1T1RD4QAbKha1bky70xv7k8sGAT_uKh0cEt4sMSGivHnQcb7137UsCCY4) が概観している。また、同胞同盟については Wikipedia, “Three Brotherhood Alliance.” に説明がある。


注)
[i] ミャンマー戦略政策研究所 (Institute for Strategy and Policy- Myanmar; ISP-Myanmar),“A Flare-Up of War in Northern Shan State,” ISP Insight Email, No. 26, October 27, 2023.

[ii] Moe Sett Nyein Chan, “Brotherhood Alliance of Three Ethnic Armies a Key Player in Myanmar’s Civil War,” The Irrawaddy, June 13, 2023. <https://www.irrawaddy.com/news/ethnic-issues/brotherhood-alliance-of-three-ethnic-armies-a-key-player-in-myanmars-civil-war.html>

[iii] ウィキペディア「ビルマ共産党」より。

[iv] 独立行政法人国際協力機構「ミャンマー連邦麻薬対策,貧困削減プロジェクト形成調査報告書」2005年。<https://libopac.jica.go.jp/images/report/11800497_01.pdf>

[v] Bertil Lintner, “Has China Lost Control of Ethnic Armies in Myanmar’s War-Torn Borderland?” Thw Irrawaddy, November 6, 2023. <https://www.irrawaddy.com/opinion/guest-column/has-china-lost-control-of-ethnic-armies-in-myanmars-war-torn-borderland.html>

[vi] ウィキペディア「コーカン」より。

[vii] Ai Sai (Mao Land), Opinion “Kokang Leads Coordinated Attacks: What Everyone Needs to Know,” Shan Herald Agency for News, October 28, 2023. <https://english.shannews.org/archives/26587>

[viii] Ai Sai (Mao Land), Opinion “Kokang Leads Coordinated Attacks: What Everyone Needs to Know,” Shan Herald Agency for News, October 28, 2023  <https://english.shannews.org/archives/26587>

[ix] “Expansion or consolidation for an armed ethnic group building muscle in Shan State,” Mizzima, 04 September 2023. <https://www.mizzima.com/article/expansion-or-consolidation-armed-ethnic-group-building-muscle-shan-state>

[x] Wikipedia, “Arakan Army.”

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