軍による襲撃下の上ビルマ

安全上の理由から匿名の地元住民 (ザガイン地方域) による投稿を紹介します。
原文:「Upper Myanmar is Under Assault」 “Insight Myanmar“ JUNE 14, 2023.

ザガイン地方域

2021年の軍事クーデター以来、ザガイン地方域はミャンマーのすべての地方域や州の中でも特別大きな苦しみを背負っている。
この地域は、地質学的には広大な平原地帯で構成されており、主に仏教徒のビルマ族 (Buddhist Bamar) が住んでいる。

軍の残忍な弾圧から自衛するビルマ族の若者

何十年にもわたって国を鉄拳で統治してきたミャンマー軍は、ビルマ族が優位にあり、ビルマ族中心であった。
こうしたことから、この国の他の民族グループの多くは、私たちビルマ族全体を誤解している。

しかし、文民政府を打倒し、多くの文民指導者を拘束したクーデターの後、ヤンゴンやマンダレーなどの都市や農村部を含むミャンマー中部の平原に住むビルマ族の人々は、平和的な抗議運動へ大勢参加した。
そして、これらの抗議活動に対する残忍な弾圧を受けて、数百人のビルマ族の若者が村を守る対策を講じ、その多くが軍の非人道的な逮捕や襲撃から自分自身、家族、地域社会を守るために自衛隊に入隊している。
彼らは、「アニャー (Anyar)」 あるいは上ビルマとして知られる地域の多くのコミュニティによって支援されている。

彼らの抵抗に対して、軍はザガイン地方域の多くの村を襲撃し、数千軒の家を焼き払った。

多数派であるビルマ族も軍に抑圧されてきた

私はこの地方域の出身で、クーデターで最も大きな被害を受けた地域の出身だ。

以前はここはとても平和で、ミャンマーで最も発展した地方域の一つだった。
この国の丘陵地帯の民族地域で何十年も続いていた内戦からは(物理的にも精神的にも)遠く離れていた。この地域の西部には、主に水田と農地があり、村や小さな集落が点在している。

ビルマ族は国が独立して以来、平和の恩恵を享受してきたと言う人もいる。

実際は、多数派であるビルマ族の人々も、国内の他の州や地方域ほどではないものの、軍事政権下で人権侵害、虐待、経済的不正義に苦しんできた。
1962年以降の社会主義政権の間、私の故郷の地方域の人々も貧困と人権侵害に苦しんだ。

軍に焼き払われた村

このアニャー地域のビルマ族の人々は、他の州や地方域の人々と同様に、2010年から2015年にかけての民主主義の移行を見て喜び、2015年に初の純粋な文民政府を選出したことに元気づけられ喜んだ。

しかし、その幸福は長くは続かず、2021年の軍事クーデター後の残忍な弾圧で蒸発した。

当初、この地域の農村地帯は地元の国民防衛隊のほぼ完全な管理下にあった。
しかし、ダラン(密告者)とピューソーティー(Pyu Saw Htee;軍が武器を装備させている民間武装勢力)は軍をこの地域に呼び込み、一緒に多くの村を焼き払った。

独立した調査グループであるData for Myanmarによると、2021年2月1日から2023年12月31日までに、私の故郷の郡区だけでも789の民間住宅が焼かれた。
この大きな数字にもかかわらず、ここはザガインの中でも被害の少ない郡区の1つである。

残虐な暴力と暴行の舞台となった修道院

軍はザガインの村を襲撃して放火している一方で、恣意的な逮捕も行った。
私が農村開発プロジェクトにボランティアとして参加した修道院とコミュニティは現在戦闘地域内にあり、町からほんの少しの距離にあるにもかかわらず、私はここ2年以上そこへ行く勇気が出なかった。

軍は町の警察署や総合管理事務所だけでなく、宗教行事のために町中の僧侶が毎年集まる僧院も拠点とした。昼も、時には夜間にも頻繁に、修道院の敷地内から兵士たちが強力な武器をランダムに発砲し、使用済みの空の薬きょうがこの修道院のあちこちに散乱している。

これが、仏教を「守る」ためにその残虐行為を正当化する軍隊なのだ!

実際、2021年7月以来、修道院に近い村や集落への襲撃が数回あった。
兵士たちはこうした襲撃に行くたびに、修道院の敷地内を横切っていく。

このようにして、悲しいことに、これらの平和な施設が残虐な暴力と暴行の舞台となってしまったのだ…

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