2022Year:

困難に直面しているCDM参加者★足りないサポート。

多くのCDM参加者は弾圧に屈せず、軍事政権に協力しない不服従を貫いていますが、給料がなく、苦しい生活を強いられています。
軍事政権と闘っているCRPH (連邦議会代表委員会)、NUG (国民統一政府) は、困窮するCDM者の生活を支えるという方針をもっていますが、実際にはまったく不十分な状態です。
給料がカットされてから1年以上がたち、民主化への出口がまだ見通せないいま、CDM者の生活をどう支えていくのかは、差し迫った大きな課題だと思います。

春の革命の歌「ဆယ်လမွန်င ါးတအ ို့ ပြန ် サーモン達の帰り」

「サーモン達の帰り」という歌は、現在、軍事政権と戦っている方々を《サーモン達》になぞらえ、自分自身を犠牲にして、新世代のために人生の責任を尽くしている方々のために歌っています。
「サーモン達の帰り」は、1981 年に作詞者キンワンが作詞して歌いました。
キンワンは 1947 年 11 月 24 日月曜日、エーヤワディー川に面したミャンマー中部バゴー地方域の都市ピエで、父親アウンカ、母親ダウテインティンから生まれました。
父親のアウンカは、第二次世界大戦でビルマに仕えるために来た日本人技術者で、日本名は「Yoshioka Noroki」です。
キンワンの日本名は「Yoshioka Sachio」です。

ミャンマーで公然と売買される偽造紙幣

ミャンマーでは、ドイツの印刷大手ギーゼッケ・アンド・デブリエント社がチャット紙幣製造の原材料を供給していました。同社は、EUのユーロ紙幣の印刷も行っている会社ですが、EUによる軍事政権への経済制裁の一環として、2021年2月1日のクーデター直後にその供給を停止しました。
市中への現金供給がタイトな状況がつづき、2022年2月以降、公然と偽札が販売されるような状況がSNS上で話題になりました。ミャンマーの現地メディアであるRFA、VOA Burmese Service、Mizzima等の報道をもとに、この偽札問題について紹介します。

ミャンマーの戦いは、どこに向かっているのか?

ロシアがウクライナに侵攻し、首都キエフをはじめ各都市をミサイル、重火砲や戦車などで攻撃し、アパートや病院、家屋が被弾して火につつまれ、死傷者が増大し、多くの人々家を離れて逃げています。こうしたロシアの侵略は、理由はどうあれ、とうてい許されるものではありません。

おなじ時、ミャンマーでも軍事政権は、民族州の村々を空爆や重火砲で襲撃し、地元民を拉致・殺害し、家々に火をつけ、多くの村民は避難を余儀なくされています。大局的に、

●いまミャンマーはどうなっているのでしょうか?
●民主勢力は、どのような展望をもって戦っているのでしょうか?
●国際社会に対して、何を求めているのでしょうか?
こんな疑問を考えるうえで参考になりそうな投稿がフェイスブックにあったので、紹介いたします。
日本政府、日本人へ向けての、大事なメッセージでもあると思います。

軍と警察が、CDM公務員を住宅から強制退去させる(マンダレー)

マンダレー地方域Myit Nge町で、3月5日午前8時から軍事評議会と警察が町のすべての出入り口を封鎖し、武器を使いながら住居から退去するように脅しているので、住民たちは自分の家を自分で取り壊してから立ち去ることを余儀なくされました。ミャンマーでは他の場所でも同じような違法行為が発表されており、軍隊によって破壊された村や町が増えています。家や持ち物を失い、避難を余儀なくされた市民たちは多くの問題や困難に直面しています。

軍がザガイン地方域を連日襲撃

軍事政権はザガイン地方域の村々を、戦争用兵器を使って激しく襲撃し、動乱を引き起こし、人々を殺害しています。村々は、強盗、レイプ、住居への放火、ヘリコプターによる無差別の発砲の野外博物館になっています。2022年2月26日から3月1日にかけて軍事政権が行った残虐行為の数々をまとめました。

軍事評議会が空爆・砲撃でカヤー州の町を破壊

ミャンマーでは、軍事評議会による空爆、砲撃、放火等で破壊された村や町がたくさんあり、殺された人々も多数います。
テロリスト軍隊は人間の居住地を目標として攻撃してるので、その地域の住民たちは避難を余儀なくされました。国内避難民キャンプ (IDPs Camp) で避難する人も増えており、日々、多くの支援を必要としています。

ザガイン地方域で、軍が400軒以上の家屋を焼き払う

地元住民によると、2月25日、ミャンマー国軍がSagaing地方域Shwebo郡区にあるNamsarit村に入り、重火器を用いて攻撃したので、地元住民はすぐに避難をしました。
村に入った国軍は、住宅に火をつけました。村の住宅600軒のうち、400軒以上は火をつけられたとのことです。
火事は午後5時になっても燃え続けていたので、地元住民は国軍が村から出発した後、すぐに村に戻って、消火しました。

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