トピックス

歴史的な第1回国民代表大会 (2):大会声明

1月27日から29日まで開催された最初の歴史的な国民代表大会終了後に発表された声明と、記者会見の内容を紹介します。会議は非公開で行われました。
1月27日の開会式の様子、Duwal Sheila暫定大統領の開会の辞を「400人が出席した、歴史的な第1回国民代表大会(1)」で紹介しました。あわせてご覧ください。

国民統一政府 (NUG) が承認した暗号通貨「USDT (テザー)」

国民統一政府 (NUG) は2021年12月11日、USDT(USD Tether)の国内での使用を正式に承認しました。
その目的は、国内の商業・サービス・支払いシステムをより良く、より速くするためです。USDTは安全でオープンであり、送金しても政府や組織あるいは銀行は、個人情報の閲覧ができず、送金や寄付をしても、逮捕されたり口座を凍結されたりすることなどは決して起こりません。

クーデターから1年:軍事政権に抗議するサイレント・ストライキ

2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターを起こしてアウンサンスーチー氏をはじめ政権幹部やNLD指導者たちを拘束し、軍事力を使って政権を乗っ取りました。
それから1年になる2022年2月1日に向けて、ミャンマーの国民に「沈黙の抗議 (サイレント・ストライキ)」が呼びかけられていました。

400人が出席した、歴史的な第1回国民代表大会(1)

クーデターから1年を控えた1月27~29日に、NUCCによる、歴史的な最初の人民代表大会が開催され、開会式には約400人の代表者が出席し、22名の代表者が演説しました。
大会では、連邦憲章の承認、憲法の承認と国民統一政府NUGの承認などが議論されます。

CDM参加の医師

自発的に広範に一挙に立ち上がったCDMer(CDM参加者)がいなかったら、反クーデターの戦いがこれほど根強く行われる状況は生まれなかったのではないかと思っています。また、国家行政を担う様々な分野のCDMerが存在しなければNUGは抽象的な存在でしかなかったように思います。

今日の「ミャンマーより、つれづれなるままに」に、そうしたCDMに関する記述がありました。
CDMer医師の生活の厳しさがうかがえるとともに、NUG(国民統一政府)の活動の一端が分かり、また、CDMerとNON-CDMer(CDM不参加あるいは離脱者)との複雑な関係が見えます。

現地CDM参加者とのミーティング

ミャンマーの大学CDMを支える会では2021年11月、ミャンマー現地のCDM参加者・サポーターの方々と、オンライン・ミーティングを行いました。
彼らは、困難で苦しい状況のなか、クーデターに反対し、民主主義を取り戻すためにもっとできることはないかと模索しつつ、軍事独裁を倒したあとのことをも見据えて活動していました。

CDMer (市民的不服従運動参加者) の生活と想い

クーデターの翌日、これに反対する公務員が、それぞれの職場で自発的に「市民的不服従運動=CDM」に立ち上がりました。この非暴力の抵抗運動は、医療・鉄道・教育・銀行・政府各省などの公務員たちを中心にまたたくまに全国に広がり、平和的な街頭での大規模抗議活動の広がりとともに、政府機能をマヒさせました。
これに対して国軍側は2月下旬から軍事力を使った武力弾圧を本格化させ、CDM参加者に対しても宿舎からの強制的追い出し、解雇、逮捕等々の攻撃を行ってきました。
CDMがはじまって10カ月がたちました。この間、CDM参加者がどのような生活を送っているのか、どのような想いでいるのか、日本のニュースではほとんど報道されていません。

フリーランスのフォトジャーナリストが軍事評議会に殺された

家族や友人の話によると、フリーランスのフォトジャーナリストでありグラフィックデザイナーであるSoe Naingさんは、軍事評議会に逮捕されてから3日後に尋問で殺されました。
彼は12月10日にヤンゴンのLatha郡区でサイレント・ストライキの写真を撮っている時に逮捕され、軍事評議会によって拷問された結果、亡くなりました。

ミャンマーのサイレントストライキ (#SilentStrike)

ミャンマーの人びとは12月10日に全国的な「サイレントストライキ」を行い、事業を閉鎖したり、外出をしない、などで平和的に軍事クーデターに抗議しました。

抗議リーダーたちが呼びかけたサイラントストライキは午前10時から午後4時まででしたが、人びとは、早朝からサイレントでした。ミャンマーの多くの都市の道路は静かで、最大の都市であるヤンゴンではほんの少しの車しか見られませんでした。
全国からの報告によると、サンレントストライキは成功しました。

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